曽根原理著『神君家康の誕生 東照宮と権現様』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー、2008年)
曽根原理著『神君家康の誕生 東照宮と権現様』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー、2008年)、読了。徳川家康が東照大権現として祀られる経緯と、家康の神話が誕生する背景を叙述した1冊。
概要と感想
以前にも家康の神格化に関する本を読んだが、これと比べて本書は家康神格化以降、近世社会に東照大権現が及ぼした様々な影響を紹介している。
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本書の前半は、徳川家康が東照大権現として東照宮に祀られる経緯を、天海と山王神道との関わりから述べている。家康以前は天道思想という論理で、政治秩序がつくられていた。織田信長や豊臣秀吉も天道思想が見られたが、家康の頃から大きな転換がはじまる。
天道は、新たな秩序を作り出す上で有効性を持ったが、それを固定化するには向かなかった。そのため、天道に代わる新たな人格神が求められた。政治権力者の神格化が始まった必然性はそこにあった。そこで求められたのは、権力者の子孫永続を擁護する存在である。天道思想が理念(道徳性など)を為政者の要件としたのに対し、血統を要件とする新たな人格神を必要とされた。家康は、信長や秀吉を反面教師として、はるかに強く祖先神という性格を打ち出す必要があったのである。(p.34)
家康は来世での極楽往生を願う浄土宗の信者であったが、徳川家の子孫永続という現世利益を願った。そのため天台仏教と山王神道により治国を実現しようとしたのである。
こうした理念は、家康死後、天海が『東照社縁起』を表したことなどによって理論化された。
本書の後半では、「神君」家康信仰・東照宮信仰が全国でどのように広まったか、また徳川「王権」を作りだすために必要とされたことが述べられる。家康の神話が作り出されることにより、徳川家康(徳川将軍家)が神聖な存在とされ、天皇の権威を凌駕するものとして観念されるようになっていった。人格神として祀られた家康が、近世の安定した社会における精神世界に及ぼした影響は大きいものであると感じられた。一方で地方の大名家でも東照宮は祀られたが、大名ごとによって扱い方が異なった点も興味深い。
最後は権威と権力の関係、徳川は王権なのか、という大きな問いに至る本書は、政治的立場の正統性を示す上で、神話や信仰が果たす大きさを感じられる。本書は以下のような言葉をのこしている。
いかなる時代であっても、人々が求めるものは現世利益であり、その最たるものは平和で安定した生活であろう。そう考えるなら、拠るべき神仏を持たない多くの現代人にとっても、近世の人々の願いは決して他人事ではない。権力の仕事ではあっても、その底に人々の平和の希求があり、仏教の精神に基づきそれを叶えようと志した人々がいた。そこに、家康神格化を考える現代的意義があるのではないだろうか。