非城識人ノート

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加藤理文著『家康と家臣団の城』(角川選書、2021年)

加藤理文著『家康と家臣団の城』(角川選書、2021年)、読了。
織田・豊臣の城とは異なる、徳川家康やその家臣団の城の特徴をまとめ、幕府や徳川家臣団がどのような城づくりを目指していたのかを明らかにすう一冊。

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加藤理文著『家康と家臣団の城』(角川選書、2021年)

概要と感想

 本書は、中井均著『信長と家臣団の城』(角川選書、2020年)と同著『秀吉と家臣団の城』(角川選書、刊行予定)との三冊セットを構成するものであるらしい。本書でも徳川家康の居城だけでなく、一門や家臣団の居城、合戦での陣城まで、家康の築城を体系的に分析している。
 


 本書の特色は、最新の研究状況から徳川家の城の特徴を明らかにしようとするところである。特に、駿府城天守台の発掘調査の成果についても言及がなされている。天正13~15年の間に、徳川家康は豊臣政権ナンバー2の地位を得るという変化を経ているため、駿府城はその地位にふさわしい城として、「豊臣政権が全面的に関与して改修工事を実施しようとした」と評価している。
 また、戦国大名徳川家の築城の特色として、丸馬出の使用をあげ、諏訪原城や丸子城を例に丸馬出が必ずしも武田氏城郭の専売特許ではなかったことを述べている。その後、小牧・長久手合戦後に対豊臣を想定した領国内の城の大規模改修を行うといい、この時期に三河から遠江駿河にかけての主要な城に、丸馬出をはじめとした技巧的な縄張を積極的に用いているようになったとしている。以上のように、東海の徳川氏領国の城について、豊臣政権と徳川氏との政治関係の変遷を追いながら、その築城・改修の時期や城郭構造の再評価を行っている。
 そして、関ケ原後から大坂の陣までの豊臣氏と徳川氏の“冷戦”関係における築城の様相を解説する。石材の少ない関東への移封したため、築城工事の技術者集団の成長が遅れていた徳川氏は、関ヶ原後において豊臣系大名を天下普請に動員することで、徳川方の拠点を増強しており、さらに彼らとの縁戚関係を築くことで“大坂城包囲網”を固めっていったという。

気になったところ

 本書を読んでいて物足りなさを感じたのが、徳川家の関東移封後における築城の動向である。徳川家臣団の城として、井伊直政箕輪城が紹介されていたものの、関東移封後~関ヶ原までの家臣団の城として詳細に解説されたものは箕輪城のみだったように感じた。この時期の関東領国における家臣団の城や、本拠江戸城の様相についてはまだまだ不明確な点も多いように感じた。研究の進展が待たれる点であると思われた。

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