非城識人ノート

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流人頼朝と伊東氏@伊東市文化財管理センター

先日、静岡県伊東市文化財管理センターにて行われている企画展「流人頼朝と伊東氏」を拝観しました。

企画展ポスター
伊東市文化財管理センター

本展は、伊東市ゆかりの鎌倉武士伊東氏と源頼朝の関係について、最近の研究成果をパネルで紹介するとともに、伊東市内の遺跡で出土した、平安・鎌倉時代ごろの遺物を紹介する展示となっていました。伊東氏といえば、流人時代の源頼朝を監視していた伊東祐親や、富士の巻狩りで仇討ちを行った曽我兄弟などが著名です。平安から鎌倉時代にかけて名をはせた伊東氏の力がうかがえる考古遺物が多く出陳されていました。

東林寺は伊東氏の菩提寺として知られる寺院です。境内の朝日山経塚からは、青白磁合子や盒が出土したようです。出土遺物の展示はありませんでしたが、現在は東京国立博物館の所蔵となっているようです。
webarchives.tnm.jp

井戸川遺跡は、中世の湊と推定されている遺跡で、白磁碗・青磁碗などの貿易陶磁が全体の遺物の14.91%を占めるなど、盛んな交易がおこなわれていたことがうかがえます。ほかにも常滑焼や渥美焼・山茶碗・南伊勢系鍋も多く出ており、東海地域とのつながりも見えました。

日暮遺跡は、現在の日暮八幡神社周辺における遺跡であり、白磁青磁・南伊勢系鍋・渥美焼が出土したほか、青白磁の梅瓶が出土しており、伊東氏の力がうかがえました。
伊東館跡からは珍しい白色系かわらけが出土しており、興味深く拝見しました。

本展のメインには寺中遺跡の出土物の展示もありました。特に同遺跡の製鉄炉は発掘された状態のままの剥ぎ取りが鎮座しており、羽口もついていて、製鉄の様子が伝わる展示でした。その他にも製錬滓や木炭の出土遺物も展示されており、当地の宇佐美氏や河津氏といった武士たちと製鉄の関係がうかがえました。

本展では主に伊東氏をはじめとした伊東市域の武士団の動向や考古遺物の紹介がされていました。文献史料かた読み取れる状況と考古遺物の状況がどこまでリンクしてくるのか、今後の研究・調査が俟たれます。

伊東市文化財管理センターははじめて訪れました。常設展示では、伊東市域で出土した主な遺物を時代の流れとともに紹介していました。戦国時代では鎌田城で出土した貿易陶磁や瀬戸美濃系擂鉢、かわらけの他、飛礫や鉄砲玉などの武器も出土しており、興味深かったです。コンパクトな展示ですが、考古遺物から伊東市の歴史の一側面をうかがえるものでした。

伊東市文化財管理センターで展示を見た後、時間に余裕があったので、周辺の史跡をめぐりました。

伊東祐親公像

伊東市役所が位置している場所は、伊東氏の居館があったと言われており、伊東祐親の騎馬像がありました。像のある場所は伊東市街を見下ろせる高台に位置しており、拠点を置くには相応しそうな土地でした。

伝伊東祐親の墓所

近隣には伊東祐親のものと伝わる墓所があります。高さ約1mほどの立派な五輪塔がありました。

東林寺

墓所のある場所から谷を挟んだ向かい側に伊東氏の菩提寺である東林寺があります。境内には伊東祐親の息河津三郎祐泰の墓や曽我十郎祐成・五郎時致兄弟の首塚がありました。曽我物語と非常にゆかりの深い場所です。

河津三郎祐泰の墓
曽我十郎祐成の首塚
曽我五郎時致の首塚

伊東駅方面へ少し歩くと、音無神社があります。曽我物語によると源頼朝と祐親の娘八重姫が愛を語らった場所だとか。

音無神社

伊東大川を挟んだ対岸には、日暮八幡神社があり、ここも八重姫との密会のために日暮らし過ごした場所であるといいます。文化財管理センターの企画展では日暮遺跡の遺物が紹介されていましたが、ここから出土したもののようです。

日暮八幡神社
日暮八幡神社説明版


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