非城識人ノート

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士(サムライ)たちの富士山@静岡県富士山世界遺産センター

先日、静岡県富士山世界遺産センターにて行われている特別展「士(サムライ)たちの富士山」を拝観しました。

同展ポスター
静岡県富士山世界遺産センター

 今回の特別展は、第一部「清見寺と武家政権―足利将軍、豊臣秀吉徳川家康―」(10/1~10/30)・第二部「頂へのあこがれ」(11/3~11/27)の二部構成となっており、ブログ主は第一部を拝観しました。
 清見寺は足利将軍家により五山官寺制度のなかに組み込まれた十刹のひとつであり、東海道屈指の名刹として知られました。今回は清見寺に伝来した什宝や秀吉・家康関連の資料を展示し、武家政権との関わりを読み取るものとなっていました。
 企画展示室を入ってまず目にするのは、木造足利尊氏像(清見寺蔵)です。14~15世紀のものであり清見寺の利生塔に安置されているものと言います。室町幕府との強いつながりを感じさせます。その後、清見寺は戦国時代の混乱の中荒廃していきますが、今川義元に仕える太原崇孚清見寺を五山派から妙心寺派に改めます。崇孚は清見寺の準開山という位置づけになるそうです。天下人となった秀吉や家康の時代には、大輝祥暹が彼らと交流し同山の復興につとめ、中興開山となりました。清見寺にとって、太原崇孚や大輝祥暹は重要な人物であり、彼らの肖像や木像が展示されていました。
 前述のように天下人秀吉・家康との交流がうかがえる史料が複数展示されていました。豊臣秀吉清見寺遊楽記(伝細川幽斎筆)は、天正18年(1590)3月に小田原北条氏攻めの際、豊臣秀吉東海道を下った折と、平定して帰途の8月に清見寺を尋ねた際の模様と詠歌を細川幽斎が、書いたものと伝えられるものです。展示では室町幕府6代将軍足利義教の富士遊覧にならったかと推察されています。
 文禄2年の朝鮮出兵の際に、清見寺は肥前名護屋に在陣する秀吉・家康の両人に陣中見舞いを送ったらしく、秀吉・家康からの返書(どちらも清見寺蔵)がそれぞれ展示されていました。秀吉には弓掛、家康には踏皮(足袋)を送ったようで、こういった贈答品の違いには何か意味があるのだろうかと妄想してみたり。秀吉は稲葉兵庫頭、家康は全阿弥を使者として返書を清見寺に届けたようで、秀吉は朱印状、家康は書状の形式でした。稲葉兵庫頭は秀吉家臣の稲葉重通であり、この人物は春日局の養父にもあたるようです。全阿弥は勉強不足でよくわかりませんが、家康の初期の寺社取次役という立場のようです。というか、そのタイトルの論文を見つけたので、読まなきゃいけないですね。
cir.nii.ac.jp
 家康関係の展示で、とても珍しかったのは家康直筆の能番組(清見寺蔵)です。大御所時代の家康が記したものだったはず(記憶が曖昧…)。能番組には、嵐山、兼平、采女大江山、邯鄲(かんたん)、善知鳥(うとう)、治親、融(たうる)と、メモ書きのように演目が記されていました。家康は能が好きだったというエピソードは以前にも笠谷和比古氏の著書で読んだことがありますが、実際の史料として可視化されたので感動しました。
oshiroetcetera.hatenadiary.com
 そのほかにも、屏風の展示もあり、御所参内・聚楽第行幸図屏風(個人蔵・上越市立歴史博物館寄託)は見ごたえがありました。また富士三保清見寺図屏風(センター蔵)は写真撮影可能だったので、撮影してきました。

屏風キャプション
富士三保清見寺図屏風

 この屏風は清見寺にかくまわれていた武田家臣土屋昌恒の遺児が、家康に見いだされるというエピソードが描かれており、この遺児はのちに土屋忠直として大名へと出世する人物となります。この屏風に関する展示は昨年度にも行われたようで、その際の図録を購入しました。家康と土屋忠直の出会いは、天正16年のことであったようですが、この屏風に描かれた家康は大御所時代を思わせる老年の隠居姿です。そこにはズレも感じますが、図録の考察では、この屏風が制作された17世紀、家康といえば東照大権現であり、神格化された老年の頃の神影としてイメージが強かったため、屏風でも隠居姿の家康が描かれたとしている。江戸時代の人々にとっての家康のイメージは武将の姿よりも長生きした大御所の一種の神懸った姿なのかもしれない。いや、現代でもそのイメージは根強いだろう。この屏風の制作背景や伝来過程が気になります。


 以上のように、本展では清見寺と武家・天下人たちとの関係について貴重な展示物とともに紹介されていました。「士たちの富士山」というタイトルにしては、富士山との関連は少ないように思いましたが、おそらくそれは第2部の展示で扱うのでしょうか。第2部では「富岳真図」や「富士山中真景全図」が展示予定のようで、近世の武士たちの富士山へのあこがれを絵画から読み取るものとなっているようです。

 今回、富士山世界遺産センターを初めて訪問しました。常設展では富士山の誕生や自然環境、富士山への信仰の歴史を扱っていましたが、ほとんどがプロジェクターの投影による紹介のようになっていました。もう少し展示物があってもいいのに…。企画展示室も建物の大きさの割には小規模に感じられました。まあ博物館とは名乗っていないので、期待しすぎてもいけませんね。当日は、あいにく富士山は雲にかかっていて眺めることはできませんでした。また天気の良い日に富士山を富士宮でみたいですし、世界遺産として指定されている信仰の跡にも足を運びたいと思います。

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