非城識人ノート

日本の城、中世史、読書、思いつき…など

野村玄著『徳川家康の神格化 新たな遺言の発見』(平凡社、2019年)

野村玄著『徳川家康の神格化 新たな遺言の発見』(平凡社、2019年)、読了。
確かな史料から死後の徳川家康が、どのように神格化されていったのか。その論理と歴史的背景を叙述する1冊。

野村玄著『徳川家康の神格化 新たな遺言の発見』(平凡社、2019年)

概要と感想

「死後に遺体は駿河久能山に葬り、葬礼は江戸の増上寺で行い、位牌は三河大樹寺に立てるよう命じ、最後に一周忌を過ぎたら、下野国日光に小堂を建てて勧請せよ。「関東八州の鎮守」となるであろう」
上記の家康の遺言はあまりに有名である。日光東照宮久能山東照宮は現在でも東照大権現を祀った社として著名であり、2社の存在は家康の遺言を裏付けているように見える。しかし、その葬儀は遺言通りに行われたのか。本書は、家康の死の直前の状況から、死後の葬礼の過程、そして神格化をする上での議論を、当時の様子を伝える良質な史料に基づいて、詳細にその動向を追ったものである。
その過程の中で、本書では上記に知られた遺言とは異なる、新たな家康の遺言を発見している。それは真言宗系の両部習合神道による神格化と久能山における三年の祭祀、その後の日光山への移葬を指示するものであった。
なぜこのような遺言が存在するのか。著者は死直前の家康の様相を史料から読み取り、家康個人の意見の変化の在り方を検証する。また、この遺言を受けて、南光坊天海は両部習合神道での神格化、一方で金地院崇伝は当時の価値観に合わせて唯一宗源神道での神格化を秀忠に主張したが、家康の遺言を受けた天海の主張が通った。天海は当初両部習合神道による神格化を意図していなかったため、秀忠の死後に山王(一実)神道による再神格化を行っていたのであった。
本書を通読すると、政治における宗教思想の重要性を理解できる。近世が始動した段階とはいえ、まだまだ政治と宗教の関係は密接なものが感じられる。家康は晩年には、真言宗天台宗・浄土宗などの論議・法問を聴聞し、諸宗寺院法度を出しており、熱心に宗教政策を行っている。一方、自身の神格化についても仏国思想の影響はあったようであり、秀忠も仏国思想の影響を受けていたため、天海の主張が容れられた。
このように当時の政治史は、現代よりもより密接に宗教思想が関わっている時代であり、やはりこうした思想も理解できなければ、歴史は半分もわからないのではないかと思わせられる。史料のみでは復元できない歴史が、当時の宗教思想を学ぶことで、その時代観がよりこまやかに伝わってくるのである。家康の神格化は、中世から近世への移行期の宗教政策や宗教思想史の変遷を物語る上でもターニングポイントであり、本書が「中世から近世へ」シリーズの並びにあることが納得できる。

▶「本ブログのトリセツ」へ