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坂井孝一著『承久の乱 真の「武者」の世を告げる大乱』(中公新書、2018年)

坂井孝一著『承久の乱 真の「武者」の世を告げる大乱』(中公新書、2018年)、読了。院政および鎌倉幕府の成立・発展という大きな歴史の中に承久の乱を位置づけ直す1冊。

坂井孝一著『承久の乱 真の「武者」の世を告げる大乱』(中公新書、2018年)

概要と感想

今年の大河ドラマ鎌倉時代である。『鎌倉殿の13人』は北条義時を主人公に初期の鎌倉幕府を描くものとなっており、恐らく承久の乱はクライマックスに位置するだろう。
承久の乱後鳥羽上皇北条義時追討の院宣を出すことで始まったが、義時の追討が本来の目的であり、倒幕までは目論んでいなかったという。そのような理解は勝者義時の視点から形成されたのだろう。それでは後鳥羽上皇鎌倉幕府とどのような関係であったのだろうか。本書の前半は、そうした朝廷と幕府の関係を、主に後鳥羽上皇と三代将軍源実朝にクローズアップして叙述する。
後鳥羽が天皇になったのは、平家によって三種の神器が持ち去られ、源義経によって宝剣が失われたという状況下であり、後鳥羽は常に正統な王とは何かという模索の中であった。彼は譲位をして、王権を厳かに飾り立てるアイテム勅撰集を編纂し、様々な文芸に精通した。
実朝もまた、二代将軍頼家の急死という、将軍家の動揺の中で三代将軍となる。実朝の父頼朝は和歌の名手・兄頼家は蹴鞠の達人であり、天皇・院・公卿を相手にする将軍として、文化的教養がなければならない。実朝は『金槐集』を編纂し、「東国の王権」としての力を表した。
このように後鳥羽と実朝の2人にとって、文化的教養は政治的に非常に重要であり、両者は良好な関係にあった。後鳥羽は実朝を認め、後鳥羽の皇子を将軍に推戴し実朝が後見をするという「東国の王権」構想が描かれた。しかし、その構想は実朝の横死により頓挫。
北条政子・義時姉弟九条道家の子三寅を後継者に立てた新しい体制を築いた。これに対して源頼政の孫頼茂が謀反を起こし大内裏を焼くという大事件が起こり、朝幕関係は一気に冷え込み、承久の乱にいたるのである。
本書では乱の経緯や経過を詳述しているが、やはり印象的だったのは、この頃の朝幕関係における文化的教養の重要性だ。特に源実朝は和歌や蹴鞠にふける軟弱なイメージが付き物だ。『吾妻鏡』では東国武士がそのような実朝を批判するとも受け取れる記述をしているが、むしろそれは文化的教養の重要性を理解できない武勇一辺倒の武士の単なる揶揄に過ぎないのだ。
こうした鎌倉初期の雰囲気を、大河ドラマではどのように描かれるのか楽しみだ。

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