非城識人ノート

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神田千里著『戦国乱世を生きる力』(ちくま学芸文庫、2021年)

神田千里著『戦国乱世を生きる力』(ちくま学芸文庫、2021年)、読了。乱世を生き延びようとした戦国時代の真の主役としての民衆の姿を描いた1冊。

神田千里著『戦国乱世を生きる力』(ちくま学芸文庫、2021年)

概要と感想

本書は2002年に中央公論新社より刊行されたものが文庫化したものである。
本書は、戦国時代の土一揆国一揆足軽、惣村に視点を当て、彼らを戦国大名や将軍はどのように保護したのか。また信仰や宗教はどのような力をっていたのかなど、戦国時代を立体的に見直すことができるものである。

本書ではまず戦国時代の民衆として土一揆国一揆について叙述をはじめる。ここで興味深かったのは、寺社本所領と呼ばれる地域の特異な部分である。寺社本所領とは、寺社や荘園領主が領主権を持ち、将軍が直接管轄する在所である。それは領国内において守護にも介入できないということだ。政基公旅引付で著名な日根荘も本所領であるが、幕府の保護のもとにある本所領は、民衆たちの戦乱の回避や無事への期待によって支えられていた。戦国時代に公家は地方に下向して在庄することや、将軍が寺社本所領を本来のあり方に戻そうとする動きも、決して旧時代への回顧ではなく、戦乱という現実に対応するために、己の権威を行使したということだった。寺社本所領を切り口とした民衆の描き方は本書の特色である。

本書では「天下」の概念と戦国大名による「国家」の関係について述べており、戦国時代の国家像を考える上でも基礎となる1冊だ。

「天下」とは京都を中心とした畿内の領域を指す言葉であり、その「天下」を領有する将軍・幕府と、周囲に広がる領国を「国家」として統治する戦国大名斗が併存するのが戦国社会の在り方であること、従って十六世紀後期に織田信長が掲げた「天下布武」という旗印は全国制覇を宣言したものではなく畿内における幕府再興を宣言したものであることを本書で初めて論じた。(p.341~342)

最近の戦国時代研究では、足利将軍権力を見直す動きや「天下」としての畿内の動向を見直す動きが盛んになっている。こうした研究の潮流も、本書が源流の一つになっているのだろう。畿内の戦国時代を楽しむ入門書としても本書は読み応えがある。

著者は戦国時代の宗教の研究者としても著名である。本書でも一向宗の動向についても特に取り上げられている。一向宗門徒といえば、浄土真宗の信者が思い浮かぶが、実態は必ずしもそればかりではない。当日の史料からも門徒の間では、山伏や神官・陰陽師などによる加持・祈祷がさかんであり、本願寺教団も対応に苦慮していた。

こうしてみれば一向宗とは何よりも素朴で土俗的な、民衆になじみやすい(逆に支配者からみればその分だけいかがわしい)ものであり、だからこそ支配者に警戒され、恐れられたということになる。呪術性のゆえに恐れられたのである。こうした一向宗徒が多く傘下に入ったところに本願寺教団の発展があると考えることができる。(p.177)

このように本書では、戦国時代に生きた民衆の目線にたち、彼らが将軍や大名や宗教勢力に何を求めていたのか、どのような信心や平和への思いがあったのか、という点を明らかにしている。文字通り民衆が「戦国乱世を生きる力」を感じられるのだ。

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