非城識人ノート

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柴裕之著『徳川家康 境界の領主から天下人へ』(平凡社、2017年)

柴裕之著『徳川家康 境界の領主から天下人へ』(平凡社、2017年)、再読了。誕生から江戸幕府を開くまでの徳川家康の生涯を、「松平・徳川中心史観」を排除し、当時の政治構造に即して叙述する1冊。

柴裕之著『徳川家康 境界の領主から天下人へ』(平凡社、2017年)

概要と感想

 本書は以前にも通読したことがあるが、最近、徳川家康関係の様々な本を読み比べる中で、もう一度読み直したくなった。


 本書の特色は、本書のあとがきにも述べられているように、
①「松平・徳川中心史観」をできるだけ排除し、同時代史料から家康像を描く。
戦国大名領国である「境目」の動向を中心に、家康の動向を描く。
③戦国時代は、京と五畿内からなる天下と、戦国大名たちの地域「国家」から「日本国」が構成されており、こうした政治構造を前提に、家康の活動の過程を追う。
という3点が重視されている。そのため、個別の具体的な合戦や地域の状況についての詳細については多くを触れていない。その代わりに、家康の動向・立場の変化を、現代の日本とは異なる当時の政治構造の中で理解しようと試みており、天下や地域「国家」といった抽象化された用語で叙述する。こうした叙述は、家康個人の英雄史観に陥らず、家康の活動が決して同時代において特異なものではなく、当時の政治・社会構造に即した対応がなされていたということが読み取れるのである。
 その一方で、家康は織田・今川領国間に挟まれた境目の国衆として大名に保護を求める立場から、複数の国衆を従えて独自の地域「国家」(惣「国家」)を築き上げた戦国大名となり、秀吉政権に従属すると、豊臣大名の中でも最大の勢力をもち、秀吉死後、政権の主導権を握り始めることで「天下」に君臨するようになるという、その時代の政治・社会構造の中でも様々な立場を経験した人物であることを描き出す。
 現代の我々は、家康が江戸幕府を開いた人物であるという知識を前提に彼の生涯を思うが、彼自身は生まれた時から江戸幕府を開くとは思いも寄らなかっただろう。しかし、彼はその時その時の自らの立場の中で、最善と思われる選択を行った。もちろんその選択が周囲や家臣からの不満を生み、自らに降りかかる危機ともなった。それらの選択や危機は、彼が天下人になるまでに耐え忍んだ苦難ではなく、同時代の政治構造・社会構造が生み出した課題に立ち向かった結果なのである。
 本書は、歴史学の立場から人物の生涯を描き出す難しさと意義を教えてくれる。

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