非城識人ノート

日本の城、戦国時代、中世史、思いつき…など

石神井城 中世豊島氏ここにあり@練馬区立石神井公園ふるさと文化館

先日、練馬区石神井公園ふるさと文化館にて行われている企画展「石神井城 中世豊島氏ここにあり」を拝観しました。

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企画展ポスター
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練馬区石神井公園ふるさと文化館

本展では、練馬区石神井公園内にある東京都指定史跡石神井城について、その歴史や新たに区に移管された出土品を公開する展示となっていました。中世の石神井城やその周辺を知ることができる史料や、考古遺物の展示があると聞いたため、足を運びました。

本展は主に、中世史料・考古資料・伝承の3つのブロックに分かれており、中世史料・古文書は、最初のブロックで展示されていました。石神井郷内宮城行尊跡相伝系図(複製、豊島・宮城文書)は、豊島氏が石神井郷の権利を主張するために作成された、土地の継承を示した系図で応永2年(1395)の作成と推定されます。また文安5年(1448)の熊野領豊島年貢目録(複製、熊野那智大社原蔵)は、熊野三山の社家である米良家が、豊島郡内の熊野社領における年貢負担や年貢額を示したもので、「石神井殿」など石神井周辺の地名が散見される史料です。石神井という地名が、中世から見えるものであることがわかり、また同地域を豊島氏が治めている様子がうかがえました。その豊島氏は、戦国期になり危機を迎えます。文明9年(1477)の古河公方足利成氏の感状(複製、豊島・宮城文書)では、宛先の豊島勘解由左衛門尉が、長尾景春の乱の際に景春に味方していることが読み取れます。太田道灌状(複製、國學院大學図書館原蔵)では、同年に石神井城が太田道灌に攻められて、豊島氏は没落しています。その後の小田原衆所領役帳(複製、国立公文書館原蔵)では、小田原北条氏に従属した道灌のひ孫康資の領地の一つに「石神井」の地名がみられますが、石神井城は廃城となったようです。

石神井城跡は大正8年(1919)に標識史跡とされ保存が始まります。その頃の城跡の写真なども展示されています。また昭和31年(1956)からはじまった発掘調査を物語るものも展示されており、特にかつての調査の「忘れ物」として出土した移植ごてやコーラ缶からは、当時の発掘の様子が偲ばれました。発掘成果としては、堀から出土した板碑の破片や、土塁基底部から出土した小刀、青白磁の梅瓶・青磁碗など、多数の遺物が展示されていますが、およそ城に関わるものは15世紀後半から16世紀前半のもので、城が機能していたのは15世紀半ば頃を中心とした短い期間だったようです。豊島氏の居城とされる石神井城ですが、領主が日常生活を営んだ場所だったか再考の余地がありそうです。

江戸時代になると、幕府の旗本豊島泰盈という人物が、自身のルーツを石神井城の豊島氏に求め、由緒をつくるようになります。江戸時代後半では、様々な紀行文に石神井城が登場します。また三宝池の金の鞍伝説や照姫伝説など、石神井城に関わる伝説も語られるようになり、特に照姫伝説は、大正4年に開通した武蔵野鉄道(現、西武池袋線)の唱歌にも歌われるなど、沿線の観光資源開発にも利用され、照姫まつりなども行われるようになりました。

このように本展では、石神井城そのものの歴史から、廃城後に語られた由緒・伝承、そして発掘調査の歴史・成果まで、石神井城の魅力の全てが楽しめるものとなっていました。

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パンフレット『石神井城跡 発掘調査の記録』

同館で50円で販売されていたパンフレット『石神井城跡 発掘調査の記録』も購入。勉強したいと思います。

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石神井城主郭

帰りに石神井城跡へ寄り道。フェンス越しから横堀が見えました。いつか内部を踏査してみたいなあ。

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企画展ポスター(表)
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企画展ポスター(裏)

出品資料リスト↓
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