おうち時間に読んだ日本中世史本5選
こんにちは。
新型コロナウイルスの影響が続く今日、お元気でお過ごしでしょうか。幸い自分は健康に過ごしております。
このコロナ禍による外出自粛中、いい機会だったので、買いためて読んでいなかった歴史本(特に日本中世史)をかなり消化しました。今までで一番本を沢山読みました(笑)。
今回は、その中から特に面白かったオススメ本を紹介します。なお、既にTwitterの方でも読書記録をツイートしているので、それを補足する形で紹介します(手抜き)。
目次
- 清水克行『喧嘩両成敗の誕生』(講談社選書メチエ、2006年)
- 金子拓『記憶の歴史学 史料に見る戦国』(講談社選書メチエ、2011年)
- 長澤伸樹『楽市楽座はあったのか』(平凡社、2019年)
- 網野善彦・石井進・笠松宏至・勝俣鎭夫『中世の罪と罰』(講談社学術文庫、2019年)
- 湯浅治久『中世の富と権力 寄進する人びと』(吉川弘文館、2020)
清水克行『喧嘩両成敗の誕生』(講談社選書メチエ、2006年)
清水克行氏『喧嘩両成敗の誕生』(講談社選書メチエ、2006)読了。喧嘩両成敗という奇妙な法から、室町時代の紛争や法意識に迫る。強烈な自尊心・帰属意識や独特の衡平感覚を持った室町人は、中人制・解死人制等の「折中の法」を生む。喧嘩両成敗法を形成した彼らの気質は、近世以後も命脈を保ち続ける。 pic.twitter.com/Bid6j8ouME
— まさじい (@enshujoukaku) 2020年4月19日
日本人の中に潜む自力救済
喧嘩をした両者に平等の処罰を加えるという「法」、現在の裁判などではなかなか見られない観念ですが、中世の人々はそれを受容していました。復讐の正当化や、やられた分だけやり返すという衡平感覚など、自力救済に訴える中世人の姿を明らかにしています。また、自力救済から公正な裁判での決着へ、戦国大名やその後の権力が果たしたことは何か?そして中世人の法感覚は消えてしまったのか?日本人の一面に迫る一冊です。
金子拓『記憶の歴史学 史料に見る戦国』(講談社選書メチエ、2011年)
金子拓氏『記憶の歴史学 史料に見る戦国』(講談社選書メチエ、2011)読了。 過去の出来事を記憶する人間がどのように記録し、如何に歴史的事実として定着するか、本能寺の変、細川ガラシャ自害等を事例に、日記・覚書・文書の伝来から考える。記憶の形成の点から史料の扱い方を考え直す重要性を学んだ。 pic.twitter.com/dVsMgqljAa
— まさじい (@enshujoukaku) 2020年5月2日
「記憶」が「歴史」になるまで
過去のある時点に発生したできごとや事実が、史料にどのように記憶されて記され、それらが歴史家によって検討・解釈され一般的にも受け入れられた解釈としての「歴史的事実」になるまでの過程を追っています。中世史というよりは近世史に近いですが、特に戦国時代の記憶がどのように歴史的事実になるのか述べられています。永井荷風の日記『断腸亭日乗』と、戦国・織豊期の公家吉田兼見の日記『兼見卿記』を比較し、古記録と記憶の関係を考察する視点が面白かったです。本能寺の変や細川ガラシャの自害事件、大坂の陣など、歴史的事件を当時の人びとがどのように記憶を残したか。その記録は後世の人びとによってどのように伝わり、解釈され、定着したのか。「歴史」が生まれる過程を考えさせられる一冊です。
長澤伸樹『楽市楽座はあったのか』(平凡社、2019年)
長澤伸樹氏『楽市楽座はあったのか』(平凡社、2019)読了。「楽市楽座」は何を意図し、近世に何をもたらしたか?関連史料22例の丹念な読解と由緒の視点から「楽市楽座」が出された各地域特有の事情や実際の経済効果を検討し、その歴史的評価に疑問を呈する。「楽座」の本質に迫る筆者の見解も興味深い。 pic.twitter.com/vQIPalsclm
— まさじい (@enshujoukaku) 2020年5月6日
楽市楽座の実際に迫る!
中学・高校の時に習った「楽市楽座」、最近の日本史の教科書では「楽市令」として紹介されていますが、「楽座」の方はどうなったのか?商工業者に自由な営業活動を認めるという商業振興政策として知られるけど、実際の経済効果はどうだったのか?楽市をやったのは織田信長だけじゃない!戦国大名が発令したものも含め、全国に出された「楽市楽座」の事例は、実は22例しか確認されていません。本書ではその全てを検討しています。また「楽市楽座」が近世に何をもたらしたのか?楽市令が出された市が近世に記した由緒にも注目しています。意外とわからないことが多い「楽市楽座」の姿を考える一冊です。
網野善彦・石井進・笠松宏至・勝俣鎭夫『中世の罪と罰』(講談社学術文庫、2019年)
網野善彦氏・石井進氏・笠松宏至氏・勝俣鎭夫氏『中世の罪と罰』(講談社学術文庫、2019)読了。原本は1983年刊。現代では解し難い中世の犯罪と刑罰、法意識について4人の論稿と討論から考察。特に「穢」や「祓」等の観念は現代の法感覚とは異なるが、コロナ禍を生きる我々に通底するものを感じた。(続) pic.twitter.com/BOHeM5uN6Y
— まさじい (@enshujoukaku) 2020年5月8日
(承前)また、「四人組」とよばれた筆者らの討論からは、相互に疑問点をぶつけあいながらも、中世人の法意識についての共通理解が深まっていく様子が読み取れ、非常に興味深かった。一読したのみだが再度読み直して難解な点は反芻し、何度も味わいたいと思う1冊だった。
— まさじい (@enshujoukaku) 2020年5月8日
中世史の大家による「記念碑的名著」!
中世日本の犯罪と刑罰について刺激的な論稿と討論がなされています。「お前の母ちゃん出べそ」のルーツが語る「悪口」の系譜や、「家を焼く」という行為から、中世社会の犯罪が持つ「穢れ」の観念を明らかにしています。また耳鼻削ぎ刑や死骸そのものへの尊崇の念など、現代とは異なる犯罪観・刑罰観が述べられています。しかし、どの事象も現代での社会問題にも通底していると感じるものもあり、現代人の常識を相対化する一冊だと思いました。
湯浅治久『中世の富と権力 寄進する人びと』(吉川弘文館、2020)
湯浅治久氏『中世の富と権力 寄進する人びと』(吉川弘文館、2020)読了。他者にものを譲渡する「寄進」という行為の意味や、寄進された富の行方から中世社会を考える。「寄沙汰」や「売寄進」などの様々な寄進のやり方や、寄進された富が地域の金融を担う「結社」を構築する点など非常に興味深かった。 pic.twitter.com/AgWytcrocy
— まさじい (@enshujoukaku) 2020年5月10日
「寄進」から見えてくる中世社会
他人にものを譲渡する「寄進」という行為は、現代でも「寄付」という形で身近に現れます。このコロナ禍でもマスクの寄付がなされていたり、災害時には企業による被災地への寄付も行われています。日本中世でも「寄進」という行為が、紛争解決の手段として、または地域の金融活動の一環として行われるなど、今よりも様々な意味を含んでいました。こうした「寄進」という行為に対して、権力がどのように対応したのか明らかにしています。また比較史の視点から、日本中世の「寄進」を世界史の中からも見つめています。「寄進」という行為を見直す一冊です。
こんな形で、おうち時間はひたすら読書に打ち込んでいた日々でしたが、一方で世の中は大きく変わっている印象を受けました。大学はオンライン授業となったり、仕事は在宅勤務になったりするなど、 数ヶ月前では考えられなかったことが起こっています。そして「新しい生活様式」への模索も始まっています。
おうち時間で読んだ歴史の本は、今という生活や社会を客観的にとらえ直す視点を、沢山もたらしてくれた気がしました。これからも勉強を続けていきたいです。
お題「#おうち時間」