ゆきあたりばったり関西(1)
1日目
新幹線を降りると、京都は雨だった。
大阪の山城に行くはずだったが、寝坊と降雨で計画変更せざるを得ないらしい。
とりあえずホテルに荷物を預け、上賀茂神社に向かった。大学院の授業では上賀茂神社の文書を読ませていただいているので、まずはご挨拶に行きたかった。
一の鳥居に入ると、二の鳥居まで大きな広場となっている。ここで有名な競馬が行われるのだろうか。いつか見てみたいな。
二の鳥居を入ると、立砂が参拝者を迎える。立砂は本殿北北西の神山を象ったものという。神山は雨雲に隠れてしまい、見ることができなかった。
楼門をくぐり、中門にて参拝する。特別拝観の時間は運悪く終わってしまい、社頭の外観を眺めることしかできなかった。
肩を落としながら、ならの小川沿いを歩いた。
スマホの地図を見ながら、やるせない気持ちを紛らわせていると、近くに「御土居」の跡があるらしいことがわかった。もう日の入りまで時間はない。御土居の跡地を辿りながらぶらぶらしてみるか。
北区柴竹の加茂川中学校前で、初めて御土居を見た。街中に突如として土塁があらわれる様相は、小田原の惣構の土塁を見た時と似た感覚だ。
柴竹の御土居から西へ向かう。このあたりは御土居のラインが道路に残り、往時を想像することができる。
大宮土居町の御土居についた。ここは最も保存状態がよく、NHKブラタモリでも紹介されたものだ。金網越しではあるが、ダイナミックな横堀と土塁に思わずうなった。ここは北西から南東にかけて、台地上の高まりが続いているが、この御土居は完全にこの台地を断ち切るように横堀を掘っている。自然地形にあらがうように築かれたこの装置は、豊臣政権の力を示している。
御土居の痕跡を数箇所確認すると、船岡山も近くにあるらしい。戦国時代には合戦の舞台になっているのに、京都の街のド真ん中に鎮座している。雨の中登ってみたが、暗くて城跡の痕跡は確認できなかった。
真っ暗になったのでフラフラと堀川通りに向かった。無計画でゆきあたりばったりな初日が終わった。
つづき↓
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