非城識人ノート

日本の城、中世史、読書、思いつき…など

浅野晴樹著『中世考古〈やきもの〉ガイドブック 中世やきものの世界』(新泉社、2020年)

浅野晴樹著『中世考古〈やきもの〉ガイドブック 中世やきものの世界』(新泉社、2020年)、読了。中世の遺跡から発掘された“やきもの”を、考古学の視点から紹介・解説する一冊。

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浅野晴樹著『中世考古〈やきもの〉ガイドブック 中世やきものの世界』(新泉社、2020年)

概要と感想

 本書では、主に博物館で展示されるような日本の中世遺跡から発掘されたやきものを、考古学の視点から分析することで、中世の人々の生活の一端や、列島の流通を考えるものである。
 本書では、まず椀や皿、すり鉢・片口鉢、壺・甕、やきものの器種とその用途・機能や特徴を解説しており、食生活や造酒などの中世人の生活が垣間見られる紹介がなされる。その次に、それらのやきものの生産地(窯)の分布やその生産方法、それぞれの文様などの特徴を解説し、やきもの生産の歴史的背景や技術拡散・伝播の過程などが推定されている。そして、列島各地の遺跡から発掘されたやきものの、それぞれの器種の分布状況から、列島における流通の様相や生活文化圏の違いなどを浮かび上がらせている。特にこの器種別の分布状況の解説が面白く、東日本・西日本といった日本列島の地域性がうかがえる点が興味深い。最後に、やきものから見る中世社会についてまとめている。
 本書は、日本の中世遺跡から発掘されたやきものの概説書として手に取りやすく、博物館などで発掘されたやきものを観察する必携の書ともいえる。ブログ主は、博物館企画展にて中世遺跡の遺物を観察する機会が多いため、今後さらに熟読したい一書である。

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戦国の比企 境目の城@埼玉県立嵐山史跡の博物館

企画展「戦国の比企 境目の城」は、令和2年(2020)12月5日~令和3年(2021)2月14日を会期としていた展示でしたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響により、令和2年12月23日から臨時休館となってしまい、そのまま会期が終了してしまった展示でした。ブログ主も訪問を計画していましたが、休館となってしまいそのまま行けずじまいでした。
これに伴い、埼玉県文化資源課がTwitter上にて、「#おうちでミュージアム」として展覧会の紹介動画を流しています。(2021年8月現在も流れています。)コロナ禍における博物館の発信の仕方として参考になるものと思い、ツイートを下にも添付します。


vol.1
vol.2
vol.3
vol.4
vol.5


そして先日、臨時休館が明けた際に、同館に行き、やっと図録をゲットできました。

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同展の図録

やはり展示資料を生で拝観したかったですが、コロナ禍における上のような対応はとても有難く感じました。
まだまだ新型コロナウイルスの勢いは衰えませんが、ウィズコロナの下で博物館展示の方法も模索が続くものだと思いました。

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戦国武将の書状展@上田市立博物館

先日、長野県上田市立博物館にて行われた特別企画展「戦国武将の書状展」を拝観しました。

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同展ポスター


 本展は、県外収集家による古文書コレクションから、真田昌幸・信繁(幸村)、織田信長豊臣秀吉・秀頼、石田三成徳川家康直江兼続伊達政宗といった著名な武将や桃山文化の中心人物たちの書状を借用し、自筆文書を含む貴重な史資料を通じて、彼らを取り巻く時代の雰囲気を紹介する展示となっていました。
 本展では、上田にちなんで真田信繁九度山に配流時代に、姉・松が嫁いだ小山田茂誠に宛てた老いを嘆く、著名な自筆書状や、石田三成天正19年に、奥羽仕置における地元の大名家老に太閤検地の指示などを送った書状にて、自身が泊まる所にいろりやこたつをしつらえ、熟した柿などを用意するよう事細かく求めているものなど、それぞれの武将の人柄もうかがえるような、著名な書状の数々が展示されていました。それぞれの書状の内容ごとに情報量が多く、感情まで読み取れるようなものばかりで、とても興味深く拝見させていただきました。
 しかし、本展は図録を作成する価値があると感じるほど良い特別企画展だったのですが、図録の刊行はなく、出品目録の配布もなかったため、一つ一つの書状を穴が開くほど観察しました(笑)。また、驚いたのは本展に出品された文書のほとんどが、県外の収集家のコレクションであるということでした。そうした事情によって図録化が難しいのか否かはわかりませんが、出品リストは配布されても良いように感じました。本展の解説資料としては、展示された書状の古文書学的な見方を紹介したA3サイズ1枚の配布資料があり、書状に親しみがない来館者に対しても、観察のポイントを端的にまとめていました。
 内容がとても満足度の高い展示だったので、来館者にもフィードバックがされるような資料があると、より充実した展示になると考えさせられました。

 また同時期に、夏季企画展として「別所線復興記念 千曲川の赤い鉄橋と上田丸子電鉄の100年」という展示も開催されており、興味深く拝見させていただきました。

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上田市立博物館が所在する上田城跡公園

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実相 忍びの者@埼玉県立嵐山史跡の博物館

先日、埼玉県立嵐山史跡の博物館にて行われていた企画展「実相 忍びの者」を拝観しました。

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埼玉県立嵐山史跡の博物館

 本展は、忍者・忍びが最も活躍した戦国時代の一次史料を集めてその役割や性状を整理し、彼らの活躍の具体的な姿を明らかにする展示でした。近年、伊賀市甲賀市青森大学三重大学などでも忍びの研究が盛んになっており、実際の同時代史料に忍びがどのように現れるのか、文字史料だけでなく考古遺物からも推測する意欲的な展示でした。
 アプローチの部分では、忍たま乱太郎NARUTO仮面の忍者赤影などの忍者漫画を展示し、現在に定着している忍者のイメージについて、来館者の興味を惹きつける展示の工夫がなされていました。その後、江戸時代の書物や漫画、軍記物などから忍者のイメージを遡っていきます。また忍術伝書や忍びが用いた道具である忍器を展示し、江戸時代までの忍術についても解説している。
 後半では、実際の戦国時代の文書から、忍びの存在を読み取っていきます。主に北条氏や伊達氏・武田氏といった戦国大名関係の文書に登場する「草」「夜懸」「伏兵」など、混同しやすい概念との関係を考察し、「忍」「すつぱ」と呼ばれた忍びの者たちの活動を明らかにしようとしていました。また忍び実際に活躍した、葛西城忍び乗取作戦・羽生城忍び合戦などの様相を、当時の関東戦国史のとともに解説しており、戦国時代の忍者のリアルな活動を窺うことができました。
 そして、本展で興味深かった資料として、戦国時代当時の忍びが使用していたと考えられる考古遺物も展示されていたことです。手裏剣のルーツとなったとみられる石製や陶製の平つぶてや、八王子城で発掘された土製の撒き菱など、江戸時代以降に知られるようになる忍器の祖型とみられる遺物を見ることができ、戦国の忍びをよりリアルに感じることができました。
 本展は、忍者・忍びという一般的にも著名な存在について、その実態をモノから明らかにしようとしたものであり、詳細な解説がなされていました。一般的なイメージよりも実際の忍びはより複雑で理解しがたい一面もありますが、言葉を尽くした解説は読みごたえがありました。また、一般的なイメージとは異なる戦国のリアルな忍びの姿を想像する手がかりとして、実際の遺物を展示するなど、工夫が見られた点がよかったです。
 本展の図録も、詳細な解説や文書の釈文がふされており、解説書としても価値のあるものとなっていました。

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本展の図録


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黒田基樹著『北条氏康の家臣団 戦国「関東王国」を支えた一門・家老たち』(洋泉社歴史新書y、2018年)

黒田基樹著『北条氏康の家臣団 戦国「関東王国」を支えた一門・家老たち』(洋泉社歴史新書y、2018年)、読了。戦国大名北条家3代当主、北条氏康が当主となってから死去するまでの約30年を対象に、氏康・氏政を支えた一門・家老に焦点をあてて、北条家の政治・軍事動向における、大名家執行部にみられた人員養成と、その変遷の状況を述べる一冊。

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黒田基樹著『北条氏康の家臣団 戦国「関東王国」を支えた一門・家老たち』(洋泉社歴史新書y、2018年)

概要と感想

前述のように、本書では、氏康が3代当主になってから、4代当主を嫡子氏政に譲ったのちも氏政を支えつづけ、死去するまでの一門・家老の変遷を、当時の北条家の政治状況の変化と関連させて解説されている。北条家の歴史だけではなく、北条家一門・家臣団の変遷にも着目して叙述されたものは、かなり珍しく感じた。氏康が2代当主氏綱から北条家を受け継いだ当時は、一門も家老も少数だったものが、領国の拡大・国衆の従属や子息・一門の増加によって、一門・家老が増加し、領国の一部支配権や国衆の編成も、彼らに委ねるようになる。また戦争状況によって、一門・家老・寄親たちの配置換えがあったり、彼らの戦死に伴って、家臣団を保護したり、新たな後継者を相続させるなど、軍団を維持するために様々な心遣いをしなければならなかった当主氏康の苦悩をも感じられた。
氏康が当主となった時点の北条家と、氏康が死去した際の北条家は、家臣団の構成や規模がかなり異なるものであり、一口に「戦国大名」とくくるには、その組織体は成長段階によって異なるものであることが実感できた。その他の戦国大名に関しても、その組織体である家臣団編成の変遷を細部まで検証することで、戦国大名の定義やその段階をより精密に考える重要性を再認識した。

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難波田氏とその時代@富士見市立難波田城資料館

先日、埼玉県の富士見市立難波田城資料館にて行われていた企画展「難波田氏とその時代」を拝観しました。

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同展の看板
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波田城資料館


 本展は、800年前の承久の乱(1221年)がきっかけで成立したとされる埼玉県富士見市を代表する中世武士・難波田氏について、その一族の動向を鎌倉時代から近現代まで追跡したものでした。
 難波田氏の祖は系図類によると、承久の乱幕府軍として戦死した金子小太郎高範とされますが、具体的な根拠は不明だそうです。難波田氏の名前が登場するのは南北朝時代の頃で、観応の擾乱における入間川での合戦にて現れる難波田九郎三郎が初見であるそうです。その後も難波田氏の動向はかすかにうかがえますが、その後、難波田氏が本格的に確認できるは戦国時代後期のことで、扇谷上杉氏の家臣として著名な難波田善銀などが知られます。その後、難波田氏の一族は北条氏に属し、松山城などを守っていた者もいたとされます。江戸時代になると難波田氏は幕府の旗本として仕えるようになり、三家に分かれます。また本展では、その他の大名家に仕えた難波田家についても解説を行い、それぞれの末裔が近現代の残した業績を紹介しています。
 本展では、記録の少ない中世の難波田氏の姿をできるだけ明らかにしようとしており、古文書だけでなく、難波田城周辺の遺物や板碑などから、当時の様相の復元を試みていました。また、戦国時代以降の難波田氏一族の動向を丹念に追っており、それぞれの難波田家の系統の動向を明らかにしていました。こじんまりとした展示スペースでしたが、そこでは難波田氏が地元のヒーローとして慕われていると同時に、難波田一族にとっても名字の地として当地が意識されてきたことが実感できました。
 同展では図録も刊行されており、文字史料には釈文を付すなど、丁寧なつくりで解説書としても利用できる一冊となっていました。

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同展の図録

 難波田城資料館には初めて訪問しました。同館は難波田城公園の中に位置しており、資料館では城跡を中心とした中世の当地域の解説のほか、近世文書や近現代の展示資料から、当地の村の生活の様子などを紹介していました。また、野外には古民家ゾーンもあり、市内の指定文化財の古民家を移築して、農具・家具を展示するなど農村の景観を再現していました。体験施設としても利用されているようです。

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旧大澤家住宅

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長沼氏から皆川氏へ 皆川文書でたどるその足跡@栃木県立博物館

先日、栃木県立博物館にて行われていたテーマ展「承久の乱800周年記念 長沼氏から皆川氏へ 皆川文書でたどるその足跡」を拝観しました。

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同展ポスター
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栃木県立博物館

 本展は、承久の乱(1221年)から800周年を記念し、承久の乱にて幕府軍として功績を挙げた下野国長沼荘を本拠とした長沼氏について、新たに皆川氏を名乗るまでの一族の歴史を「皆川文書」(個人蔵、栃木県立博物館寄託)から読み解くテーマ展となっていました。本展で展示された資料の中で最も見ごたえがあったものは、貞応2年(1223)の淡路国大田文でした。大田文とは、鎌倉時代を中心に各国ごとに作成され、一国内の国衙領(公領)と荘園の田畠面積と領有関係を記した文書であり、地頭御家人への御家人役の賦課基準に用いられたものです。皆川文書に伝来する淡路国大田文は、承久の乱での功績が認められて同国の守護職を与えられた長沼宗政が作成したものであり、原本としては現存最古で大田文のなかで唯一、国の重要文化財に指定されています。同展では、その大田文の全貌が展示されており、興味深く拝見いたしました。
 また、同展で皆川文書から展示されていたもので多かったのが、南北朝期から室町期にかけてのもので、特に室町時代において、長沼荘の支配をめぐって一族が分裂し、さらに後継者のあいつぐ早世により、家督の継承が混乱している様相が、当時の鎌倉公方や上杉氏らの文書から読み取れるのが印象的でした。
 その後、陸奥国南山を拠点として長沼一族の次郎の家系から、皆川荘に移った一族が皆川氏を名乗って活動が見られるようになりました。南山は、南北朝動乱期から長沼氏との関わりがある場所で、南奥と下野国の国境を越えたつながりが垣間見える点も興味深く感じました。また長沼氏の文書が皆川氏に伝来した過程が、この次郎の家系からきていることがわかりました。その後も北条家や豊臣家と徳川家と渡り合う皆川氏の姿が、皆川文書からうかがえた点は満足度が高かったです。
 本展では、「正文」「下文」「下知状」など展示で使用される古文書学用語を解説した補足説明資料や、展示内容の趣旨を端的にまとめたパンフレットが配布されており、複雑な中世史を扱う展示をわかりやすく解説する工夫がされていました。また、「皆川文書」の調査・研究成果をまとめた報告書も販売され、それぞれの文書に釈文・読み下し・解説を付し、全体の詳細な解説もなされていました。本展の図録としても利用できる同書は、とても充実した内容となっていました。

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同展の調査研究報告書


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