非城識人ノート

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小杉御殿(3) 小杉御殿の現在を歩いてみる

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こんにちは。お久しぶりです。

前回、「小杉御殿の跡地は現在どうなっているのかをみていきたいと思います。」と言い残しておきながら、ブラタモリの放送からほぼ1ヶ月を経過し、さらに季節も春を迎えようとしています(笑)

先日、時間を見つけてじっくりと現地を歩いてきました。おっかけブラタモリですね。今回は、そのレポートをしていきたいと思います。
(本エントリの写真は全て2019年3月5日撮影)

4、小杉御殿を歩く前に

①小杉御殿の位置

小杉御殿の跡地は、現在の神奈川県川崎市中原区小杉御殿町に位置しています。「小杉御殿」がそのまま町名になってますね。

最寄駅は、東急東横線新丸子駅やJR南武線武蔵小杉駅武蔵中原駅があります。およそ徒歩約15~20分ほどでしょうか。

②「小杉御殿・陣屋跡絵図」

当時の小杉御殿やその周辺の状況を知るうえで、ヒントになるのが、中原区安藤家所蔵の「小杉御殿・陣屋跡絵図」です。(以下「絵図」と省略。)
これは現地の説明版にも掲載されています。
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上の「絵図」をもとに、Googleマップを加工して、勝手に推定図をつくってみました。

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小杉御殿とその周辺の推定図
推定図に示した①~⑫までの番号は、写真を撮影した場所と方向を表したものです。今回は主にこの推定図を用いて御殿跡地の様子を見ていきたいと思います。

※小杉御殿周辺は、人通りも車通りも多く、道幅の狭い住宅街ですので、見学の際は充分に注意してください。

5、小杉御殿を歩く

中原街道の供養塔

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中原街道沿いに建つ供養塔(写真番号①)

こちらはブラタモリでも紹介された供養塔ですね。

説明版には次のような解説があります。

川崎歴史ガイド●中原街道ルート
小杉駅と供養塔」

川崎宿より五十年遅れて小杉もまた宿駅に指定された。供養塔にも稲毛領(いなげりょう)小杉駅とある。台座の「東江戸、西中原」は街道が平塚の中原と江戸を結ぶ道であることを示している。

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供養塔の台座部分(写真番号①)

この供養塔から東の江戸の方向に進むと、中原街道は北へクランクします。

中原街道のクランクと小杉御殿の表門

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クランクする中原街道と小杉御殿の表門跡(中央奥)。(写真番号②)

中原街道がクランクした先に、小杉御殿は位置しています。街道が曲がったあたりに、御殿の表門がありました。

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「こすぎごてん表門跡」の看板。(写真番号③)

平塚の中原から江戸へ向かう旅人は、このクランクを曲がったときに、小杉御殿の表門に圧倒されたのでしょうか。

表門から西へ、西明寺の方面に少し歩くと、小杉御殿の碑が現れます。

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「史跡徳川将軍小杉御殿跡」の石碑。(写真番号④)

また、この石碑の裏手に回ると小杉御殿の説明版があります。

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「小杉御殿と「カギ」の道の説明版(写真番号④)
こちらに掲載されている「小杉御殿見取絵図」が、冒頭に紹介したものになります。
解説文には次のようにあります。

「小杉御殿と「カギ」の道」
 御殿の敷地はおよそ一万二千坪(約四万平米)。絵図に表御門、御主殿、御殿番屋敷、御賄屋敷、御蔵、御馬屋敷、裏御門などが示されている。
 中原街道はここでカギ形に曲っている。城下町でよく見られるカギ形の道は防衛のために工夫されたもの。背後の多摩川、さらに西明寺や近くの泉沢寺もあわせて御殿の守りが固められていた。

泉沢寺は西明寺よりもさらに西の中原街道沿いに位置します。小杉御殿は西からの敵を想定していたのでしょうか。

③小杉御殿の内部へ

いよいよ小杉御殿の内部に入っていきます。表門跡の場所から北上すると、左手に西に細長い路地が現れます。

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西へのびる路地。(写真番号⑤)

「絵図」によるとこの先に、将軍が宿泊した「御主殿御休息之間」があったようです。今はどうなっているのでしょうか。

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御主殿跡に建つ「御主殿稲荷」(写真番号⑥)

つきあたりまで行くと、そこにはお稲荷さんが祀られていました。

近くの解説には次のようにあります。

川崎歴史ガイド●中原街道ルート
「小杉御殿の御主殿跡」

二代将軍秀忠が建てた小杉御殿は、家康の送迎のほか、鷹狩りの休息所などに使われた。後に東海道が主街道となると、御殿は廃止される。この辺りに御殿の中心、御主殿があった。

この場所に将軍が休息に訪れたようです。今は住宅地のど真ん中にひっそりと祠が建っています。

④御殿の境界

「絵図」には御殿の西側を多摩川へ向かってのびる道が描かれています。現在も西明寺の脇の道として、その名残が残っています。これが小杉御殿の西の境界と考えられます。

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小杉御殿の西側を通る道(中央奥が西明寺)。(写真番号⑦)

御殿の東の境界は明確にはわかりませんでした。「絵図」によると御殿の東には、「御殿番屋敷」や「御賄屋敷」などの施設があったようです。
ところで前回、小杉御殿の御殿番の井出氏を紹介しましたが、この「御殿番屋敷・御賄屋敷」周辺に「井出」という表札のある家を見かけました。御殿番井出氏の末裔の方のお宅かわかりませんが、この付近が御殿の東側であったことは考えられるでしょう。

⑤小杉御殿の御蔵

小杉御殿の北を区切る道を西へ進むと、北側に路地が現れます。これを北上すると、またお稲荷さんが現れます。

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御蔵稲荷。(写真番号⑧)

説明版の解説文には、ここに小杉御殿の御蔵があったことが記されています。

川崎歴史ガイド●中原街道ルート
「御蔵稲荷と多摩川

この辺りに小杉御殿の御蔵があった。御殿は、当時このすぐ裏側を流れていた多摩川を背後の守りとしていた。川の流路が変り、その頃の川筋は今、等々力緑地となっている。

「絵図」にも「郷御蔵敷」という記載が見られ、御主殿との位置関係からしても、この場所に御蔵があったのは確かでしょう。

御蔵稲荷には、「小杉御殿跡之碑」という古い石碑もあります。

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「小杉御殿跡之碑」(写真番号⑧)

「小杉御殿跡之碑」
徳川二代将軍秀忠公が鷹狩の際や中原街道を経て相州中原御殿への中宿として慶長十三年(一六〇八年)着工 中原街道の北側一万二千坪の地に表御門裏御門あり 下馬札が立てられ御賄御蔵御殿番陣屋等の屋敷が棟を並べ規模大であった 約五十年後に建物の一部を品川の東海寺に 更に上野弘文院へ賜はり御殿は廃止となった 此所は御蔵屋敷の跡で御蔵稲荷といわれ陣屋跡御主殿跡にも稲荷社がある
神地石留刻
昭和三十二年八月十八日
武蔵中原観光協会建之

⑥用水路と旧多摩川の痕跡

御蔵稲荷の道を西へ少し進むと、住宅地の隙間に不自然な縦に細長い空間を見つけました。これは「絵図」にも記載されている、「用水堀」に相当する水路、または水路の痕跡と思われます。

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「用水堀」の痕跡か。(写真番号⑨)

さらに西へ進むと等々力緑地に突き当たります。御蔵の説明版にもあるように、ここが多摩川の旧流路でした。その証拠に小杉御殿の場所よりも低地となっています。

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等々力緑地から小杉御殿を見る。(写真番号⑩)

小杉御殿は、蛇行する旧多摩川が作り出した自然堤防上に選地し、中原街道をクランクさせることで交通路を掌握していました。
このような立地条件は、当時の近世城郭にも共通するところがあると思います。

⑦小杉陣屋跡

小杉御殿から北東に位置する小杉陣屋は、江戸幕府から代官として任命された小泉次大夫が民政の拠点とした場所です。
現在この場所は小さな公園となっています。

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小杉陣屋跡地の公園(写真番号⑪)

またこの公園の近くには、お稲荷さんが祀られています。

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小杉陣屋跡に建つ稲荷社。(写真番号⑫)

説明板には、

川崎歴史ガイド●中原街道ルート
「小杉陣屋と次大夫」

稲毛領、川崎領を潤す二ヶ領用水の建設。徳川家康の命を受けた代官小泉次大夫は、ここに陣屋を設け十四年に及ぶこの難工事の指揮に当った。地名「小杉陣屋町」はこれにちなむ。

とあり、小泉次大夫の足跡が述べられています。


以上、見てきたように、小杉御殿は、中原街道を抑える要地に位置しており、小杉陣屋の小泉次大夫も、この地勢を生かして、代官として民政に従事したのでしょう。

小杉御殿や小杉陣屋の主要な施設には、現在稲荷社が建立されており、御殿・陣屋の歴史を今に伝えています。


よりみち:等々力緑地を歩く

小杉御殿を歩いた後、等々力緑地も歩きました。
等々力緑地には、サッカーチーム、川崎フロンターレの本拠地、等々力陸上競技場があります。

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等々力陸上競技場

さらに進むと、川崎市市民ミュージアムが見えてきます。

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川崎市市民ミュージアム

この川崎市市民ミュージアム、なんと博物館展示室が無料なのです。原始から現代までの川崎市の歴史を概観できる、興味深い展示がなされています。小杉御殿に関しても触れられていました。川崎という地域への理解を深めるのにオススメです!



最後は、等々力緑地から見た等々力陸上競技場と、武蔵小杉のタワーマンション群を見てお別れです。
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【参考文献】
村上直「小杉御殿と小杉陣屋に関する一考察」(『川崎市史研究』創刊号、川崎市公文書館、1990年3月)
川崎市史 通史編2 近世』(川崎市、1994年3月)