ゆきあたりばったり関西(5)
前回↓
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能登川駅についたのは正午だった。ここからバスを使い、六角氏の本拠観音寺城へ向かう。
バス停を降り、結神社に参拝。ここから約1時間の山道となる。
延々と続く石段をひたすらに登る。山岳寺院を利用した城だけあって、修行僧の気分である。
この石段はいつ終わるのか。息を上げながら前方を見上げると石垣が見えた。伝布施丸の石垣である。飯盛城と同様の古風な石垣だ。
駐車場から観音正寺への参拝道を行くと、奥の院の巨大な磐座が目に入った。すごい。圧巻のスケールである。観音寺城はこの聖地を取り込むことを意識していたのだろうか。
観音正寺に参拝。コロナ除けの御札をいただく。昼食を終えていよいよ本丸へいく。
本丸は城域の最高所の一段下に位置している。土塁の内・外や虎口も石垣で固められている。野面積みの迫力ある石垣だ。曲輪も広く居館があったことが想起される。
本丸から石段を降りて伝平井丸へ向かう。この石段は安土城を想起されるような直線的な石段だ。
伝平井丸の石垣で固められた虎口は、まるでミケーネ遺跡を連想される。これは城館として築かれた石垣なのか、それとも山岳寺院ならではの技術なのか。この曲輪の役割を考えさせられる。
伝池田丸も石垣で固められた土塁がめぐってる。ここも広い曲輪だ。外側にも立派な石垣が築かれているが、全てを見ることができないのが惜しまれた。
「大石垣・女郎岩」という標識を辿って、伝池田丸南側の斜面を降りてきた。岩場が剥き出しになった場所にでた。新幹線が見えた。向こうの山並みが安土城のように見えた。あとから気がついたが、この方面からは安土城が見えない。本丸からも安土城が見えないのだ。観音寺城が南方面を意識して築かれていることを実感させられた。
城域内で最高所の伝沢田丸の土塁へ行く。ここまで登るためには、傾斜のキツい石段を使わなければならない。観音正寺と本丸をつなぐ山道から分岐するこの石段は、城の遺構なのだろうか、山寺の遺構なのか。この城は、城なのか寺なのかわからない。石段の途中で石垣を見せつけられた。
大土塁の頂部へ登りきると、「三角点・近江風土記の丘」という看板を見つけた。こちらへ行くと繖山の山頂、そして安土城考古博物館へ行くのか?前日にネットで調べたときは、そのようなルートの存在を知らされなかった。本当に降りられるのだろうか。
疑問を棚に上げ、大土塁を東へ辿る。三国岩にも石垣を見つけた。土塁上に石垣を築くのは何故だろう。虎口なのだろうか。
しばらく大土塁を進むと巨岩の露頭が現れた。そしてその上には大きな石碑の裏側が見えた。表に回ってみると、「佐佐木城址」という字が彫られていた。どうやら伝馬場丸のあたりに来たようだ。大土塁南側の曲輪群はほどんどが薮に覆われており、曲輪の位置関係がわからなかった。今日は薮を漕ぐ心の余裕がなかった。
再び大土塁に戻り、階段を降りる。伝布施丸の西側に出てきた。まったく広大な城である。城の全ての遺構は半日では見切れそうにない。
もう一度奥の院の雄姿を見ながら観音正寺への参拝道を歩くと、ねずみ岩という巨岩が現れる。ここからも大土塁方面へ上がれそうな道があったので、登ってみる。石段は巨岩群の中をクランクしながら上がっていく。途中には石垣が威圧するように築かれていた。
さらに登ると、先程の「佐佐木城址」碑の建つ巨岩に戻ってきた。このルートは城内道として使われていたように思われた。
その後、大土塁上を西へ戻り、もう一度伝沢田丸の土塁まで来た。繖山方面の尾根から考古博物館へ降りれるのか、気になっていたからだ。
旅程当初の予定では、3日目は観音寺城を楽しんだ後に、安土城考古博物館での明智光秀の特別展を拝観する予定だった。しかし、初日の雨で断念した飯盛城を、3日目の午前に登城したため、特別展の拝観は半ば諦めていた。
時計は15時を指していた。このルートから降りれば、まだ間に合うかもしれない。意を決して、繖山方面へ足を進めた。
観音寺城は繖山の南側に築かれている。繖山の山頂は城域には含まれていない。その意味でもこの城は南側を意識して築かれているように思われる。
繖山山頂の三角点についた。樹木の合間から安土城方面の景色が見えるが、全体を俯瞰することはできなかった。
案内板の標示を信じて考古博物館へ尾根を降りていくと、樹木が伐られ開けた場所にでた。思わず息を飲んだ。
安土城や琵琶湖まで一望できるパノラマである。向こうの山は八幡山城だろうか。私の知らない城跡も沢山視界に入っているのだろう。この場所は下調べしても掴んでいなかった場所だった。しばらく呆気にとられてしまった。
案内標示を信じて降りていくと、考古博物館へ行く道と安土城へ行く道の分岐についた。ここから尾根伝いに安土城へも行けるようだ。山道を降りていくと、近江風土記の丘の一角に出てきた。こんなところに観音寺城への登り口があったのか。繖山山頂から約30分程度で降りてきた。
無事、安土城考古博物館で特別展を拝観し、図録も買ってしまった。博物館を出ると、黒い雲が空を覆い、比叡山方面の空が夕焼けで赤く染まっていた。
帰路につく。安土駅へ向かう道では、琵琶湖からの寒風と小雨が吹き付けてきた。冬の気配を感じる。あたりは暗雲で覆い尽くされようとしていた。