非城識人ノート

日本の城、中世史、読書、思いつき…など

ゆきあたりばったり関西(4)

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3日目

午前3時に目が覚めた。今日は朝駆けで、初日のリベンジをせねばならない。

早々にホテルのチェックアウトを済ませ、電車が烏丸駅を出発したのは5時だった。

“大阪”というと大阪市の中心部を想像しがちであるが、大東市四条畷市に位置する飯盛城は畿内に一大勢力を築いた戦国大名三好氏の本拠でもあった。
野崎駅についたのは6時半。自分の予習によると、野崎観音から登ると城の正面に入れるようだ。

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野崎観音

野崎観音の裏山を登ってしばらくすると、野崎城に行き着く。飯盛城の支城だろうか。堀切が確認できた。

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野崎城跡

ここから約1時間、心細さを同伴しながら山道を行くと、石垣で固められた虎口が出現した。

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虎口

側面の南の丸から横矢をかけられるようだ。

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虎口付近から南の丸切岸と横堀を見る

千畳敷は巨大な居住空間である。流石三好の本拠だけある。ここで様々な政治的・文化的活動が行われていたのだろうか。

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千畳敷

FM送信塔から北側は鞍部へ下る坂道となり、底が堀切となる。この北からはいよいよ要害部分である。

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送信塔から大堀切を見下ろす。

岩盤の露頭をよじ登ると、大阪平野を一望できる本郭にたどり着く。そこでは、三好の勢力下だった城が手に取るように眺めていたであろう、城の主の姿を想像できた。

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飯盛城本郭跡
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本郭から大阪平野を見渡す

本郭部分から北に行くと堀切を挟んで、御体塚丸が現れる。こ曲輪のド真ん中に“御体塚”と称される岩場が鎮座する。ここに三好長慶が埋葬されたのだろうか。これは岩盤の露頭なのか、それとも石を積んだものなのか。心得のない自分には疑問に感じる物体だったが、“聖なる空間”であることはすぐにわかった。

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御体塚

御体塚丸の北側の堀切は、岩盤を削った見事なものであった。

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御体塚丸北側の堀切

その北の曲輪の先からは大阪平野だけでなく、京都方面まで、三好の勢力圏を見渡せる場所がある。なるほどここを本拠にしたいわけだと得心してしまう。

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京都方面を見る

この城の東斜面には、かなり古風な石垣が随所に確認できた。特に御体塚丸南側の鞍部のものは見事であった。なぜ東斜面に集中するのだろうか。東から城へ登るルートが正規の道だというが、大和方面を意識しているようにも自分には感じられたが、妄想に過ぎない。

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御体塚丸南側鞍部の石垣

楠公寺に参拝する。東側の麓からこの寺へ上がる道があるようだが、残念ながら確認できなかった。

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楠公

満足感に浸りながら飯盛山を下山する。次の目的地まで間に合うだろうか。

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野崎駅付近から飯盛城を見る

つづく↓
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