非城識人ノート

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和泉清司著『江戸幕府代官頭 伊奈備前守忠次』(埼玉新聞社、2019年)

和泉清司著『江戸幕府代官頭 伊奈備前守忠次』(埼玉新聞社、2019年)、読了。江戸幕府代官頭として幕府成立過程の中で大きな役割を果たした徳川家康の家臣、伊奈忠次。彼の生涯をまとめた1冊。

和泉清司著『江戸幕府代官頭 伊奈備前守忠次』(埼玉新聞社、2019年)

概要と感想

 伊奈忠次徳川家康の家臣として知られる人物の一人である。だが徳川四天王(酒井忠次榊原康政本多忠勝井伊直政)や本多正信・正純父子といった家臣団の中では、地味な存在かもしれない。しかし、徳川家の中では土木事業を担当し、利根川東遷事業を始めた人物として紹介すれば、耳にしたこともあるだろう。
 本書ではそんな伊奈忠次の生涯の事績を叙述する。彼が行った事業はもちろん利根川東遷だけではない。土木治水のほか、領国内の検地や新田開発・寺社政策・交通政策にも携わった。その中でも特筆されるのは、やはり検地と土木治水であろう。
 忠次は、家康の五カ国(三河遠江駿河・甲斐・信濃)領有期・関東移封期・そして関ヶ原後の領国拡大後の3時期にわたって検地を担当している。そして用水整備や新田開発も同時並行で行い、安定した年貢収取の基盤を作っている。また、それ関連して、大河川の改修や霞堤の設置を推し進め、領国の災害対策を担当した。
 本書の特色は、伊奈忠次の動向について、地域に偏らずまんべんなく明らかにしようとしている姿勢である。伊奈忠次というと利根川東遷のイメージから関東地方における事績の研究が進んでいるが、五カ国領有時代や関ヶ原後の関東以外での動向については通時的に論じられたものは極めて少ない。本書を通読すると、忠次は関東地方だけでなく、東海地方でも極めて広範な活動を行っており、死の間際まで、複数の地点での治水事業に携わっていたことが明らかとなっており、その行動力に驚かされる。
 ブログ主は、伊奈忠次の事績の中で鷹狩御殿の設置・管理について関心を寄せている。家康は五カ国領有期から領国内で鷹狩りを行っているが、ただの遊興のために行っていただけではなく、そこには民情視察という目的も含まれていた。忠次は最初の大仕事であった中泉御殿の設営をはじめとして、様々な御殿の設営に関わっている。例えば、慶長13年に家康が鷹狩のために越ケ谷御殿に休息した際には、葛西領で3000石の開発を行った土豪宇田川定氏の功績を聞き、忠次を通して褒美を与えている。このように忠次は、家康と領国民をつなぐ存在としてあり、また常に在地の人々の目線を重んじる動向を示している。それは様々な地域で検地を担当してきた忠次の経験が反映されていることが推察される。
 本書によると、伊奈忠次は初期江戸幕府の中でも年寄衆に近い立場まで上昇し、単なる代官頭の地位をこえていたことが指摘されている。忠次の能力と経験は、初期幕府の運営の中でも重宝されていたことがうかがえる。
 忠次は著名な合戦の戦場で名を挙げることは少なかったかもしれない(武勇に秀でているエピソードは残っている)。しかし、土木・治水政策により国土の基礎をつくった人物としてこれほどまでに知られた武将も、この時代は少ないのではないだろうか。伊奈忠次を知ることは、当時の社会的背景や自然状況に対して、家康がどのように立ち向かったのかを知ることにつながるのである。

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