非城識人ノート

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千々和到著『板碑と石塔の祈り』(山川出版社日本史リブレット、2007年)

千々和到著『板碑と石塔の祈り』(山川出版社日本史リブレット、2007年)読了。

日本の中世に各地につくられた五輪塔・宝篋印塔や板碑などの石塔が、どのような意味を持ち、地域において如何にして存在し続けたのかを叙述する1冊。

 

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千々和到著『板碑と石塔の祈り』(山川出版社日本史リブレット、2007年)



概要と感想

板碑や五輪塔・宝篋印塔などの石塔は、仏塔(卒塔婆)として造られたものが多い。また中世の要人の墓に用いられる石塔は、梵字や紀年銘・造立趣旨等が記されている。この点について、故人の生涯や事跡を顕彰するような文章が記された中国の墓碑や墓誌と大きく異なるポイントだと思った。

こうした日本中世において石塔が広まった背景には、平安時代後期に末法思想の広がりによって貴族たちの小塔供養が盛んに行われたことが関係しているとされる。また石塔が墓に用いられる際も、石塔を造立する功徳と、その地下に骨を埋められることによる結縁によって、極楽往生をしたいとの願いが込められているものと考えられる。

こうした石塔、特に板碑に関しては、現代では石塔は、領主の変遷や年号の使用状況、中世城館の年代比定等その土地の歴史を明らかにするときに重用されている。しかし江戸時代には、地誌の編纂の際に重視され、地域の歴史や由緒を生み出す際の材料として保存されてきた。時代の変遷により、地域のなかで板碑のもつ意味が変化している点も興味深い。

石塔・板碑に触れる際には、そこに残されていることの意味・意義を考えてみたい。