藤木久志著『土一揆と城の戦国を行く』(朝日選書、2006年)
藤木久志著『土一揆と城の戦国を行く』(朝日選書、2006年)読了。
日本の戦国時代における「内戦の村」の様相について叙述した8編の論文を、土一揆と飢餓と戦争の関係と、戦場の村と城の関係の2つの焦点に分けてまとめられた1冊。
概要と感想
前半では、土一揆や一向一揆に参加した人々の実態や、北条氏領国におきた村の退転と当主氏康の対応などから、戦国時代の政治状況や戦争に飢饉状況が大きく影響していることを明らかにしている。また軍記『清良記』から戦場の村の生々しい動向を読み取っており、戦国期の村の飢餓状況や勧農策が、近世に農書として継承されている点が印象に残った。
後半では、戦国時代の城の役割に焦点をあて、領主や土豪だけでなく村も城を築いて戦争に備えたことや、領主の城が村の生命維持の場として機能したことを明らかにしている。同様の視点は、著者の『城と隠物の戦国誌』でも述べられているところだが、本書では特に戦国期の九州や下総国本佐倉城、武蔵国比企地域の城館群を事例に述べている。
特に「内戦のなかの村と町と城」の章では、惣構の役割について本佐倉城を例に考察を深めている。戦国大名北条氏が佐倉の町場に対して、北条氏領国における自由な港市としてのあり方を標榜していることから、本佐倉城の惣構に自立的な町場を封じ込めるための役割があったという点に、再考の余地を見出している。
また本書の最後には、天下統一の過程に発令されたといわれる「山城停止令」の伝承について、全国で確認された事例を紹介している。ここで見出された「山城停止令」は、同時代の史料に明文化されたものではない。近世初頭に至り山城の存立が否定され平地の城館に領主が拠点を移動する過程のなかで、「山城停止令」の伝承が生まれてきたものと考察されている。
同時代史料では確認されないものの、確かに秀吉や家康による全国統一事業の中で、山城の使用を停止する方針が存在したことは十分に考えられる。この点については後に福田千鶴氏が『城割の作法 一国一城への道程』(吉川弘文館)のなかでも述べている。
福田千鶴氏『城割の作法 一国一城への道程』(吉川弘文館、2020)読了。戦国期の降伏の作法だった城割が、近世初期に大きく変容する様相を論ずる。冬の陣後の大坂城二の丸以下破却や福島正則改易事件等の近世成立史を、城割に対する認識の変化という点から見直し、徳川政権による城郭政策の意義を考える pic.twitter.com/4J7yf4EESD
— まさじい (@enshujoukaku) 2020年2月24日