非城識人ノート

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大石泰史著『城の政治戦略』(角川選書、2020年)

大石泰史著『城の政治戦略』(角川選書、2020年)読了。
戦国期今川氏の4つの城館を対象に、文献史学の立場から城館の政治・経済的役割を考える一冊。

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概要と感想

今川氏領国であった駿河遠江三河の城館は、今川氏滅亡後に徳川・武田・北条氏の攻防の舞台となり、現在に残る遺構も三氏の攻防の歴史と結びつけられて考えられている。その背景には、今川氏時代の城に関する文書の僅少さもあり、これまで同時期の城館の役割・機能についての考察は深められていなかった。本書では駿河府中今川館・駿河国興国寺城・遠江国高天神城三河国吉田城を取り上げ、残された文書から今川氏領国において各城が築かれた政治的背景や地理的条件を叙述している。

本書を読む際に注意したいのは、城館の軍事施設としての側面よりも、政治的状況・領国支配上の役割などの考察が中心になっているということである。そのため城館構造(縄張)やその軍事的運用・合戦の推移などに関する考察はほとんどない。しかし、1つの城の歴史を細かく把握することが、戦国大名による領国支配や政治情勢、地域史の解明の重要な糸口となることがわかるのが、本書の魅力である。

第2章では、駿河府中今川館に注目している。駿河という地が室町時代から戦国初期にかけて、東方への最前線・軍事的資源の供給地としての役割を果たしたことや、今川館の立地とその周辺の様相を、文献史料から解説する。最後に今川氏の「詰の城」についても推測を加えている。

第3章では、駿河国興国寺城を取り上げ、今川・武田・北条三氏の同盟において果たした役割や、今川氏滅亡後に「城主」となった北条家臣垪和氏の考察を行っている。

第4章では、遠江国高天神城を拠点とした福嶋氏が、今川氏の領国支配において果たした役割や、小笠原氏との関係を述べている。また遠江に沿岸部の水運・流通を介した他城との連携について、文献史料から考えており、非常に興味深かった。

第5章では、三河国吉田城を取り上げ、今川氏と国衆牧野氏との関係、今川氏における「城代」の権限、吉田天王社の石田氏の動向、そして牛久保城との関係を考えている。ここでは特に戦国大名と国衆の関係性について考察が勉強になった。城の持ち主を考察することが、大名権力の研究にもつながるところに、文献史学から城館を考える意義を見た気がした。

気になったところ

本書のタイトルには、「政治戦略」という言葉が用いられているが、「戦略」という語には、次のような意味が見られる。

(1)いくさのはかりごと。特に、戦いに勝つための大局的な方法や策略。戦術より上位の概念。
(2)ある目的を達成するために大局的に事を運ぶ方策。特に、政治闘争、企業競争などの長期的な策略。

(『日本国語大辞典』)

「政治」という言葉と合わせられて用いられていることから、2番目の意味なのだろうか。

本書では「戦略」について、次のように述べられている。

城は防御施設であるが、大名がそこを軍事的・政治的・経済的な中心地として活用していたことは間違いない。今川氏もその地を戦略的拠点として位置づけ、大名領国の安定を図るために運用していたことであろうことは想像に難くない。城に関する今川氏の文書等を改めて見ていくと、若干ではありながらも同氏の戦略的な志向・方向性が見え隠れする。今川氏の城館を見ていくことで、今川氏の目指していた戦略的志向を考えたい。それが本書のねらいである。
したがって本書は、「城」を表題に掲げているにもかかわらず、何年にどこの城で誰が討死したなどといった記述にはなっていない。今川氏と敵対する大名等との城の攻防=争奪戦をメインに据えた本ではないということを最初にお断りしておく。事例として提示した城の、“本来的な意味”を考えたものである。すなわち城は、大名とその領域下に居住する人々を防備するため、あるいは軍事・流通等の円滑化といった「戦略」のために築造されるので、その点を明確化するものである。

(大石泰史『城の政治戦略』p10~11)

ここで筆者は、城が人々を防備するため・「戦略」(=軍事・流通等の円滑化)のために築かれるとしており、「戦略」という語を先の1番目の意味として用いているものと思われる。
しかし、本書は「今川氏と敵対する大名等との城の攻防=争奪戦をメインに据えた本ではない」としているし、「城は防御施設であるが、大名がそこを軍事的・政治的・経済的な中心地として活用していたことは間違いない。」とも述べている。
つまり本書における「戦略」には、戦争遂行における策略という意味(=1番目の意味)のほかにも、政治的・経済的な目的を達成するための策略という意味(=2番目の意味)も含まれているように思えた。これは城が単なる軍事的施設なのか?という“城とは何か”の議論にもつながるのではないかと考えた。



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