ゆきあたりばったり関西(3)
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慈照寺の門前で約束のメンバーと合流し、いよいよ大文字山へ。リアルでは初対面だったが、打ち解けた雰囲気で山を登る。
大文字の火床は、京都盆地を一望できた。こんなパノラマが楽しめる場所は、関東には少ないだろう。ましてや大学の近くで。
祝日のためか、火床には人が多かったが、火床から更に登ると、人影は減った。問題の如意岳城はこの先にあるという。頂上まで遺構は見当たらなかったが、東へ少し下ると横堀が見えてきた。
曲輪は不整形だが北と東に向けるように横堀が張り巡らされている。この方向を意識して築城されているようだ。
居住よりも合戦を意識した陣地という印象をうけた。あるいはこうした城郭を検討することは、当時の合戦様式を考える上で重要な素材になるとさえ思われた。
議論しながら城を歩くのは楽しい。縄張図も描きたくなる。その藪の中には、まだ研究の余地が残されていると感じた。
次はいよいよ“将軍の山城”へ。と意気込んでみたものの、中尾城は呆気ない遺構だった、後世の改変があるとはいえ、どの程度の期間使用されたものだったのか、いま一度検討の余地がありそうだ。
離れた場所にある出城の遺構は、本当に城といえるのだろうか。近代あたりに切り出されたような石の破片が転がっていた。
山を降りると日の入りを迎えていた。振り向くと大文字山は赤く染っていた。
「文献史学から城館を研究する方法論を考えなければならない」
山を登りながら議論したこの言葉が、頭の中を反響する。
酒も入れつつもっと話したいが、おのおの次の日の予定がある。名残惜しさを感じつつも、再会を誓って百万遍のバス停にて解散した。己も自らの研究を頑張らなければならない。
つづき↓
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